たびのおとも

愛知県知多半島を一周する約194kmの巡礼「知多四国八十八ヵ所めぐり」ガイド

82番札所 観福寺(かんぷくじ)【東海市】

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天台宗 雨尾山 観福寺

  • 御本尊/十一面観世音菩薩
  • 開基/行基菩薩
  • 開山/不詳

東海市大田町天神下ノ上5番地

 

椿の枝にひのきが芽吹いた奇跡

 

43番札所・岩屋寺、61番札所・高讃寺と並ぶ知多三山の一つ。山門の両脇には、カッと目を開いた“あ”“うん”の仁王像が構えています。大宝2年(702)行基菩薩によって開創。盛衰を繰り返して宝徳2年(1450)に再建されました。さらに寛文5年(1665)には尾張藩主・徳川光友の帰依によって堂宇を建立。300年後の伊勢湾台風で被害を被りましたが、昭和40年(1965)に復興を遂げました。境内では愛知県の名木・椎も見どころですが、知多四国開創者の亮山阿闍梨が立ち寄った際、「行く末、きっと珍しいことが起こるだろう」と告げて記念に植えていった紅白の椿は別格。160年後に青々とした椿の枝に桧が芽吹く奇跡が起きました。ご本尊を安置する宮殿は、国の重要文化財。ご本尊および脇士2体、絵画など7点が市の文化財

 

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亮山阿闍梨お手植えの椿

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→1.5km 83番札所 弥勒寺へ

81番札所 龍蔵寺(りゅうぞうじ)【知多市】

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曹洞宗 巨渕山 龍蔵寺

  • 御本尊/地蔵菩薩
  • 開基/天室春公首座
  • 開山/黙道僊宗大和尚

知多市八幡字小根138番地

 

京の公卿とゆかりの地蔵菩薩

 

両脇を店屋に挟まれ、車では見落としてしまいそうな国道沿のお寺です。元和3年(1617)京の公卿がこの付近に移り住んできました。日頃から地蔵菩薩を信仰していた公卿は、悪病の蔓延で村人が困っているのを知り、地蔵菩薩に平癒を祈願。するとみるみるうちに悪病は治まりました。喜んだ村人は、恩返しの意味を込めてお寺を建立。霊験あらたかな地蔵菩薩を奉安したといいます。そのときの名前は「巨渕山 龍蔵庵」でした。公卿はのちに出家し、この地で亡くなっています。寛政2年(1790)に堂宇が炎上したものの3年後に再建、現在に至ります。

 

→3.4km 82番札所 観福寺へ

 

80番札所 栖光院(せいこういん)【知多市】

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曹洞宗 海嶋山 栖光院

  • 御本尊/聖観世音菩薩
  • 開基/智翁恵了和尚
  • 開山/拙堂魯中大和尚

知多市八幡字観音脇25番地

 

陽のあたる場所へ移った石仏

 

樹齢600年を超える楠の木が歴史を物語っています。お寺の開創は元亀年間(1570~1573)以前と伝えられています。「海鳴山 慈眼寺」として栖光庵・慈林坊を末寺に持つ一山で真言宗でした。天正5年(1577)に一山を栖光庵に合併して曹洞宗に改め、現在の「栖光院」となったのは昭和17年(1942)です。楠の横の石段を登りきると正面には寛文2年(1661)に建立された観音堂。釘を一切使わない“縄しばり”というのには驚かされます。右手、弘法堂の脇の裏山へ続く石段に並ぶのは四国88ヵ所の石仏。戦時中はもっと山の奥で祀られていましたが、土砂崩れで道が通れなくなり、無事だった仏様だけを移したといいます。79番からこの80番へ向かうのに近道をしようと裏山からやってきてバチがあたった横着者の傘が「こうもり弘法」として弘法堂にぶら下がっています。

 

→0.8km 81番札所 龍蔵寺へ

番外 開山所 妙楽寺(みょうらくじ)【知多市】

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真言宗豊山派 白泉山 妙楽寺

  • 御本尊/大日如来
  • 開基/不詳
  • 開山/賢秀上人

知多市新知字下森29番地

 

亮山阿闍梨の偉業を見直す開山所

 

79番札所・妙楽寺の境内にあり、知多四国霊場3開山の一人・亮山阿闍梨が祀られています。本堂前には座像があり、念願が叶ったのちの穏やかな表情で満足気にお遍路さんを迎えているようです。阿闍梨は安永元年(1772)愛知県犬山市の生まれ。名古屋東照宮名古屋市中区)の守護寺・天王坊の亮厳法印に師事し、文化3年(1806)35歳で妙楽寺の住職となっています。その3年後の文化6年(1809)3月18日、大師の夢のお告げで知多四国霊場を発願。16年かけて開創に至りました。その開創に関する貴重な品々や阿闍梨の遺品なども伝わっており、毎年4月に公開されています。阿闍梨の入寂は、奇しくも発願と同じ3月18日。

 

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妙楽寺の本堂前にある亮山阿闍梨の座像

 

→2km 80番札所 栖光院へ

79番札所 妙楽寺(みょうらくじ)【知多市】

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真言宗豊山派 白泉山 妙楽寺

  • 御本尊/大日如来
  • 開基/不詳
  • 開山/賢秀上人

知多市新知字下森29番地

 

開運厄除の金弘法

 

明徳元年(1390)後花園天皇の勅願所として開創され、当時は広大な寺領に七堂伽藍を完備していました。天正6年(1578)に兵火で堂宇が焼失。豊臣秀吉の治世では寺領も没収され末寺は転散しましたが、寛永12(1635)に焼失をまぬがれた大日如来薬師如来地蔵菩薩などをこの地に移して再興されました。霊場を開創した亮山阿闍梨の住職寺でもあります。ここに安置される弘法大師像は開運・厄除けに霊験あらたか。別名「金弘法霊場」としても知られ、弘法堂前の柱には大師の姿が描かれた金ピカの案内札が目立っています。境内の「いぼ地蔵」はイボやおでき、ガン封じにまでご利益が。お地蔵様の前に置かれている石で患部をなで、とりあえずその日は石を持ち帰ります。後日、治ったら石を2つにしてお返しを。

 

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ふっくらとした顔つきの修行大師像

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イボやおでき、ガン封じにもご利益の「いぼ地蔵」

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赤子を抱いた「子育て水子地蔵」

 

→境内にある番外 開山所へ

78番札所 福生寺(ふくしょうじ)【知多市】

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真言宗豊山派 宝泉山 福生

  • 御本尊/不動明王
  • 開基/不詳
  • 開山/精真法印

知多市新知字宝泉坊19番地

 

ひょっこり焼け跡から大黒様

 

永禄3年(1560)精真法印によって創建。知多四国霊場を開創した亮山阿闍梨は、弘化4年(1874)3月18日にここで遷化されています。境内に鎮座する全身真っ黒なコンクリート造りの“やけん大黒天像”は、信者が寄進したお寺のシンボル。本堂の中には実像があります。「やけん大黒天」とは“焼けない大黒さん”のこと。大正2年(1913)の大火で本堂や庫裡は全焼してしまったにもかかわらず、一面の焼け跡から30㎝の木製の大黒様だけが無事な姿で見つかりました。今はガラスケースの中に納められていますが、近づいてよく見ると鼻の頭が少し欠けていて、にこやかな笑顔がなんだか痛々しい(?)。開運・厄除けに霊験あり。

 

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にこやかなお顔のやけん大黒天像

 

→1.2km 79番札所 妙楽寺

77番札所 浄蓮寺(じょうれんじ)【知多市】

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真言宗豊山派 雨宝山 浄蓮寺

  • 御本尊/不動明王
  • 開基/不詳
  • 開山/憲誉法印(中興)

知多市佐布里字地蔵脇36番地

 

喜寿77歳にゆかりの札所

 

「雨宝山 如意寺」一山9坊の一院として創建。「七十七」は「喜」の字に通じることから、この77番札所は「喜寿=長寿祝い」ゆかりの縁起のいいお寺として知られています。弘法大師が杖を立てた場所から芽が出て茂ったという裏山の竹藪から竹を刈り、材料にしたことが始まりとされる“中風除箸”を授かる札所としても有名です。本堂は天明元年(1781)に建立され、天保11年(1841)に屋根の葺き替え、昭和60年(1985)には修復が行われるなど、歴史のなかで大切に守られてきたことがうかがえます。

 

→2.6km 78番札所 福生寺へ