たびのおとも

愛知県知多半島を一周する約194kmの巡礼「知多四国八十八ヵ所めぐり」ガイド

巡礼の身支度・参拝の仕方

【巡礼の身支度】

一般的な遍路姿は、白装束。それに加え、菅笠・輪袈裟・手甲・札挟み、さんや袋、脚絆、白地下足袋、鈴、金剛杖、念珠を揃えた姿が正装とされます。しかし、ここでは本来の遍路姿にこだわらず、多少省略してもかまいません。いつでも気軽に巡礼できる――それが知多四国霊場です。

 

◎白衣

f:id:kamahele50:20210128121145j:plain

弥勒菩薩梵字と「南無大師遍照金剛(大師の宝号)」の文字が書かれています。

 

南無=帰依し発心する

大師=弘法大師

遍照=ご本尊の慈悲の恵みは誰へだてなく遍く照らす

金剛=仏の教えは不変で永遠の金剛のようである

 

◎さんや袋(頭陀袋)

f:id:kamahele50:20210128121404j:plain

納経帳や教本を入れます。

「同行二人」の文字は、“大師様と二人連れ”の意味。

 

◎納経帳

f:id:kamahele50:20210128121508j:plain

「納経」とは、札所を巡拝して写経を奉納したり、お経を唱えたりすること。この納経に対して、ご本尊や大師様が願いを受け取ったことのしるしが「納経印」です。

 

◎輪袈裟

f:id:kamahele50:20210128121629j:plain

 

◎金剛杖

f:id:kamahele50:20210128121715j:plain

 

◎手打ち木魚

f:id:kamahele50:20210128121755j:plain

 

【参拝の仕方】

巡礼は大師様と一体になる三密修行の旅です。三密修行とは「身」「口」「意」を浄めるための修行であり、「身密」は清らかなお遍路さんの姿、「口密」は般若心経や大師の宝号を唱える修行、「意密」は心のあり方を正しくする修行。いわば巡礼中は、誰もが修行者となります。だからこそ正しい参拝の仕方でご本尊・大師様と向かい合いたいものです。

 

①札所へ到着したら、合掌して一礼

②手を洗い、口をすすぎ、身を清める

③ご本尊、大師様の順に参り、ろうそく・線香をささげる

納札・写経・お賽銭を納める

⑤合掌し、お経(般若心経・光明真言・南無大師遍照金剛ほか)を唱える

⑥納経所で納経印をいただく

⑦札所を出発するときは、合掌して一礼

知多四国霊場のはじまり

 夢枕でのお告げ

 

さかのぼること文化6年(1809)3月17日。妙楽寺・亮山阿闍梨の夢枕に立った弘法大師のお告げから始まります。

 

「知多は我が悲願の宿縁の地。いよいよ開創すべき時運が来た。亮山よ、2人の道僧とともに衆生結縁の門を開け」

 

阿闍梨が目を開き大師の立っていた場所を見ると、そこには四国八十八ヵ所霊場の砂が残されていました。砂を手にした阿闍梨が発願を決意します。

 

大師の心にふれる旅

 

お告げがあった翌日、阿闍梨はさっそく四国巡礼の旅へ。大師が修行した土地で大師の心にふれる旅でした。

 

そして、ここで一夜の宿を借りた武田安兵衛が、のちに協力者となります。

 

知多半島へ戻ってからの阿闍梨は、方々の寺院へ札所のお願いまわりましたが、引き受け手は一向に見つかりませんでした。当時、知多半島には300以上の寺院があったものの、大師を開祖とする真言宗の寺院は30余り。大師像の安置を他宗の寺院へ願い出ているのだから無理もないことでした。

 

1人から3人へ

 

難航のまま10年におよぶ歳月を見送ったとき、阿闍梨はようやく夢のお告げにあった六十六部行者の岡戸半蔵と、いつか四国で宿を借りた武士の武田安兵衛に出会います。

 

阿闍梨のこころざしに感銘を受けた半蔵は私財を投げうって安置仏をつくり、安兵衛は四国八十八ヵ所霊場のお砂を持参して協力。3人が同じこころざしを持ってからというもの、次々と札所が決まり、大師像が安置されていきました。

 

そして夢のお告げから16年目の文政7年(1824)、ついに八十八ヵ所の札所が揃い、知多四国霊場の開創へ――。

 

現在では毎年多くのお遍路さんが訪れる霊場となりました。

 

f:id:kamahele50:20210128112246j:plain

妙楽寺(79番札所)でお遍路さんを迎える亮山阿闍梨

 

◎亮山阿闍梨

安永元年(1772)尾張国生まれ。35歳のとき妙楽寺(79番札所)に移住。37歳から知多四国霊場開創に尽力の末、16年後に全山開創を遂げる。76歳で入寂。

 

◎岡戸半蔵

宝暦2年(1752)尾張国生まれ。はやり病で妻子を失い六十六部行者に。68歳のとき阿闍梨に出会う。誓海寺禅林堂(番外 開山所)において73歳で没す。

 

 ◎武田安兵衛

天明8年(1788)讃岐国生まれ。水戸の藩士。藩主とともに移った高松で阿闍梨に出会い、霊場開創をこころざす。葦航寺(番外 開山所)において38歳で没す。

 

はじめまして。お久しぶりです。

f:id:kamahele50:20210118105720j:plain


私が初めて知多四国八十八ヵ所を巡礼したのは平成5年(1993)のことでした。

 

その後、あらためての巡礼が平成15年(2003)。10年経っても良い意味で「変わらない」景色は、多忙な日常や思うようにならない苛立ち、心配ごとなど、どれもちっぽけなものだと思わせてくたものです。

あれからさらに18年。初めての巡礼から、もう四半世紀以上です。年齢を重ねた今のじぶんに、あの景色はどう見えるのか、気になるところ。

 

このブログをご覧いただいた方には「はじめまして」。

知多四国八十八ヵ所の巡礼について書くのは「お久しぶりです」。

ありがたいご縁から、平成5年、平成15年に「知多四国八十八ヵ所めぐり」のガイドブックを出版させていただきました。1ページ(1ページで1ヵ寺を紹介)に掲載できる内容量(文字数)に悩みながら本づくりをしていました。

 

そしていま、もう一度、知多四国八十八ヵ所を巡ってみたいという思いから、昔の資料を引っ張り出し、加筆しながら今度は自由度の高いブログで巡礼をはじめました。

掲載している写真は平成15年当時のものです(本当に”引っ張り出し”ています)。

ここから実際に足で歩いて、目で見たものを、感想をまじえながらup dateしていきたいと思います。

 

たびのおともにしていただければ幸いです。

 

(寺院の紹介文、画像につきましては、転載をお断り致します)